先を知っている人の感じ方と知らない人の感じ方
皆さんは、誰かの助言を素直に聞くほうですか?
私たちは、自分の見ている世界が間違っているなんてことは、
微塵も疑うことはありません。
自分の経験というのは"絶対値"なのです。
例えば、幽霊の存在を信じますか?
「そんなのは空想の話だわ。」
「疲れていて見間違えるだけだ。」
という人もいれば、
「存在して当然。」
「見たことあるから。」
という人もいます。
見たり感じたことがある人は、
かなりの確率で信じるでしょう。
ちなみに私もあるので信じますw
否定している人も、
もし見れば信じるでしょうね。
それくらい"経験"というのは"絶対値"なのです。
先日、子供の誕生日に自転車を購入しようとネットで見ていました。
親の視点からすると、
こっちのほうがデザインがいいとか、これなら6年生まで乗れるとか、
乗り心地はよさそうとか、そういった視点で見ます。
ところが子供の場合は、
タイヤが何色だとか、サドルが何色だとか、
何色が使ってあるからという、そういった視点で見るのです。
これは、"経験"によるものの見方ですね。
自分の経験から、先を予想する大人は、
予想することで、こういう感じになるからと判断します。
しかし、子供にとっては、
初体験のことなので、見る部分は「今」感じることが全てなのです。
大人から見れば、不合理に見えることもあるでしょう。
これは、大人と子供というものだけではないですね。
誰かが経験したことは、
誰かの経験のために役立てるということが、
本当は人間にとっての「強み」なのです。
せっかくの強みなのに、
伝える側から、
「なんでわからないんだ?!」
という姿勢や、
受け取る側からの、
「押し付けないで欲しい!」
という姿勢では、経験の化学反応には至りません。
どちら側か一方だけの問題ではなく、
共に経験の化学反応を楽しみ、考えることができたなら、
人間同士もっと素晴らしい経験を積んでいけるのかもしれません。
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